いくらの一人旅記録
ヨーロッパ周遊 卒業旅行記
 6. イタリア 2月4日-8日
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2月4日(金)晴れ●ティラノ いきなりショーペロ?!

 11時過ぎ、イタリアのティラノに到着した。

行き止まり式の駅で出口は一つ。改札でイタリア語でパスポートチェックをされてイタリアであることを実感した。すぐにミラノに向かおうと思ったが、ミラノ行きの列車がしばらくこない。待っているのもつまらないのでミラノに行く途中にある“Colico駅”どまりの列車に乗った。
13時半Colico着。駅のバール(喫茶店)でコーヒーを飲みながら14時5分のミラノ行きを待っていたが、時間になっても来る気配がない。駅員に聞いたところイタリア語はさっぱり分からないが、“ショーペロ”が聞き取れれば事態は飲み込める。つまり“ストライキ”だ。
イタリアでは日常茶飯事のショーペロだが旅行者にはたまったもんではない。
駅員が言うにはなんと20時まで電車はストップとのことだ。さあこまった。仕方がない、とりあえずかろうじて動いているローカル線で行けるとこまで行くことにした。Lecco駅までは行けるようだ。 しかし不慣れなローカル線では2度乗り間違い、降り間違いをしてしまいLecco駅についたのは夕方6時も過ぎたころだった。これからミラノに向かっても宿を取れる可能性は少ないし暗くなると危険。そこでこの街で宿を探したが、小さい街で宿らしい宿はみつからなかった。さすがに少し焦りを感じた。この時間になっても宿が決まっていないというのは初めてだからだ。駅に戻るとミラノ行きらしい列車があったので乗ってみた。なんとかたどり着けるかと期待したが、あわや、ミラノの外れの小さな駅どまりだった。どこなのかは良く分からない。列車にも駅にもほとんど人はいない。もう1台後から来た列車に乗り換えてみた。しかしそれもどこか知らない駅に到着した。ミラノの近くではあるようだけど。。。良く分からずにそのまま乗っていたら列車が動きだし、さっきの駅に逆戻りしてしまった。
いくら、パニック。
列車が駅で完全にストップすると、一人の男性客と駅員さんがイタリア語でなにやら話をしている。このときほど言葉が分かったらと思ったことはない。不安な気持ちで彼らを見ていると促されて電車を降ろされた。そこはホームを過ぎていて線路を歩いてホームに戻った。 時間はもう21時。ミラノに行きたいと駅員に尋ねてもさっぱりイタリア語が分からない。寒くて暗いホームで一人。悲しくなってきた。駅をでると閑散とした風景が広がっていてた。バス停をみつけたが、さすがにもう動いていない。駅に戻って待合室にポツンと座った。心のどこかでは“なんとかなるだろう”と思っていたがそれもどんどん弱まっていった。と、そのとき二人のおじさんが待合室を通 りすぎてホームにたった。私はすがるような気持ちで“ミラノに行きたいのですが”と尋ねた。英語が通 じる人だった。おじさんは親切にもカーテンの閉まっている駅室の窓ガラスをたたき、駅員に尋ねてくれた。そしておじさんは笑顔で戻ってきて私に朗報を告げた。“You are Lucky.次に3番線にくる列車が最後のミラノ行きだよ”と。私は心底感謝して、3番ホームへ行った。しばらく待っているとイタリア語のアナウンスがながれ、遠くに二つの光が見えてだんだんと近づいてきた。ちょっとアナウンスのホームのナンバーが違ったような気がしたが?やっと安堵の気持ちになった。が、おや?おやおや??列車は明らかに隣のホームに入って来ている。それを確認するやいなや私はホームを飛び渡った。(ホームの間には段差はない。だがけどキケン行為です)入ってくる列車の前を横切っるのはなかなかのスリルだったが、この列車を逃したら本当に野宿だ、と必死。
ミラノまではほんの数十分だった。到着したのは22時過ぎ。その時間なのに駅はにぎやかだった。いまから宿をとるのは大変であろう。そうなると残る手段はひとつ。私は時刻表を確認した。ある!22時半発夜行列車のローマ行き。ホームへ走る。列車は出発まじかだ。ユーレイルパスをみせて近くにいた駅員に尋ねる。“予約をしていないが乗りたい”。駅員は12番車両へ行けと案内してくれた。自由席の車両だった。乗れることが分かって私は屋台でミネラルウォーターだけ急いで買って、ローマ行きの夜行列車に飛び乗った。 列車はかなりの込みようだった。空席を何とか見つけて落ち着いた。6人用ののコンパートメントは満席でかなり窮屈だった。だが、誰もいないホームで一人でいるよりずっとマシだとおもった。
散々な一日だった。今日使ったお金はたったの10000リラ(約650円)。2杯のコーヒーとパン1個だけだった。 そして予定外にローマに行くことになってしまった。
OH MY GOD・・・

2月5日(土)晴れ ● ローマ"予定外の来訪"

 朝起きたらローマだった。
窮屈な席ではあまり寝られなかった。駅に下り立つ。ここへくるのは2年ぶりか。また来ることになるとは思わなかった。さて、どうしたものかと駅構内をウロウロした。時刻表はすっかり時間がくるっていて、いまだショーペロ中だった。でも一部の列車は動いているようだ。私は今日中にヴェネチアへ向かい旅程を軌道修正しようと考え(当初は、ミラノ経由でヴェネチアに行く予定だった)窓口で10時発のボローニャ行きの予約を申し込んだが、予約は出発の5時間前でないとだめだと言われた。ならば今夜の夜行という手もあるがさすがに2夜連続夜行続きはしんどいので、考え直して今日はローマに宿を取ることにした。出発は明日の朝、9時発のトリエステ行きを予約した。

 そうなると宿探しだ。しかし、探すのが面 倒だったので、2年前に来たときに泊まった駅近くのYWCAにまたお世話になることにした。場所はしっかり覚えていて、前に泊まったときのことを思いだして懐かしかった。 無事に宿を予約して荷物を預け、再び外へ出かけた。この時間は部屋に入れないのだ。 観光といっても前回ほとんどのスポットを見てしまったのですることがない。とりあえず、バス1日乗車券(6000Lit=約400円)を購入して、適当なバスにのって適当にバス観光をした。 おなかが空いたので駅にもどって駅のセルフレストランでランチにした。ここは前に来たときににもよく利用したレストランで結構お気に入り。トレーを持って好きなものを乗せてゆき、最後にレジで会計して席に着く。パスタなどは作り置きなので味はいまいちなのだが、値段が手ごろだし1人でも入りやすい。店内は結構広くて清潔で、グランドピアノがおいてありときどき生演奏が聴ける。

  ランチのあとバスでバチカンへ行った。バチカンの広場には人が集まっていて、なにか催しごとが行われていた。司教さん(?)を先頭に一般 人が列をなして歌を唄いながら教会に入っていく。私も人に紛れてついていった。列は教会の中のとある祭壇の下の狭い階段を降りてゆく。こんなところに部屋が?入ったことのないところに足を踏み入れられることに少しドキドキした。列の終着点は祭壇の下の地下の礼拝堂だった。私以外にも何人かの観光客がその様子を見ている。しばらく見ていたが、一足先に地下をでた。新しい体験だった。 宿へ戻る。シャワーを浴びてしばらくゆっくりした。友人への手紙を書く。 21時頃になって外をふらついてみた。危険危険といわれている割にはとりわけ危険は感じなかった。街灯の光が私を少し寂しくさせる。そんなときの寂しさもまた旅の醍醐味だったりする。30分程散歩して足早に宿に戻った。 翌朝。今日は日曜日なのでYWCAでは朝食がでない。8時にチェックアウトして、駅に向かった。

2月6日-7(日)晴● ヴェネチア"最大のピンチ!"

 ローマからヴェネチアまでは約5時間半。9時過ぎにローマをでて到着したのは15時前頃だった。はじめて訪れた、運河の町ヴェネチア。駅をでて眼前に広がる運河を見てたいへんな爽快感をおぼえた。天気も良い。なにかいいことありそうな。と思っていた矢先にキャリーバックのタイヤが壊れた。

  宿はやっぱりYH。ヴェネチアのYHは離れ島にあるのでワポレット(船)で行く。ワポレットの1日券(18000Lit=¥1170高い)を購入した。駅からは30分ぐらいかかった。ワポレットは思ったより遅い。YHは心配に反してがらがらっだったためすんなり予約できた。 さっそく市内観光へ。サンマルコ寺院まで行き、そこから街を散策しながら駅まで戻った。細かい路地が多く、まるで街全体が迷路のようでアミューズメントパークに来たみたいで楽しい。しかし、ここに住むことを考えるとかなり不便な街だと思った。移動手段が船、というのも煩わしい。まあ、住めば都なのかもしれないが。駅からワポレット1番に乗って街をぐるっと遊覧した。暗くなり霧がたちこめてきて、街がとても幻想的に見えた。外はとっても寒かったが、(サンモリッツより寒い!)風を切るワポレットの先頭の椅子にあえて座った。寒さが気にならないほど、旅の余韻で胸がいっぱいになった。 19時頃、YHに戻り夕食をとった。メニューは パスタ=ペンネアラビアータ メイン=チキン+ポテトフライ パン デザート=フルーツ で14000Lit(¥910)メインは2種類から選べるし、それぞれ単品でも注文できる。ボリュームがあってイタリアの味を楽しめた。 日本人の女性5人組が食事していて、挨拶して仲間に入った。みんな私より 年下だった。その中の一人が別の国でパスポートをとられたらしく、その国からでられないので置いてきてファックスで連絡を取り合っているということだった。 旅の話をしながら楽しい時間を過ごした。

・・・事件の発端はその夜だった。 翌朝、朝食を済ませチェックアウトをして駅に向かった。考えていた旅程は今夜の夜行で南フランスのニース経由でスペインに入るといったものだ。予約をしようとユーレイルパスをさがす。が、しかしいくら探してもパスは見つからなかった。それどころか、パスを含めた貴重品袋そのものがないのだ。貴重品袋にはパスのほかにブリットレイルパス、トラベラーズチェックそして航空券が入っていたのだ。瞬間、“やられた”と思った。私は急いでワポレットでYHに戻った。30分の道(水)のりがとても長く、じれったかった。YHにはもうあまり人は残っていなかった。窓口で事情をつげて、あらためて部屋を、ごみ箱を、トイレをとさがした。受付のお兄さんも探すのを手づだってくれた。しかし見つからなかった。くら、ピンチ。 その時、YHロビーに二人の日本人男性がいた。私がトラブっている様子を見ていた彼らに事情を話した。彼ら(YさんSさん)は親切にもいろいろと助言をしてくれた。 こうなると今日ヴェネチアを離れるわけにはいかなくなった。YHをもう一泊予約した。ロビーで対処を考える。トラベラーズチェックは再発券できる。パス類はあきらめるしかないだろう。一番問題なのは航空券だ。とりあえず日本の代理店に再発券可能なのか問い合わせるようだが、時差の関係ですぐには連絡できない。それで、まずしなければならないこと、できることはトラベラーズチェックの再発行だ。 電話で問い合わせて指示を受ける。取り次ぎが英語だったため少し手間取った。再発行には盗難届(ポリスレポート)が必要だといわれた。保険のこともあるので盗難届のために警察に行かなければならなくなった。YさんとSさんも一緒に行ってくれた。 警察署を見つけたが、取り込み中で1,2時間まてと言われた。そのため私たちはマックで軽食をとって時間をつぶした。YさんとSさんはなかなかの旅人だった。Yさんはもう1年間も旅を続けていて、その話はとても興味深いものだった。Sさんも数ヶ月の長旅を続けてるとか。 警察署に戻り、待合室で待っていると順番が来たので私は一人、中へ入った。部屋には二人の警察官がいた。最初はイタリア語で何か言っていてさっぱり?だった。それを悟られて、“Do you speak English?”ときかれた。“Only a little”私はいつものセリフで答えた。パスポートを出した。なんとか片言の英語で被害の状況を説明してだいたい理解してもらった。何かの用紙に自分の名前や国名、住所などを記入した。そしてイタリア語のポリスレポートを受け取った。手続きは30分ぐらいだった。再び、トラベラーズチェック(トーマスクック)に電話をしてレポートを手に入れたことを報告する。レポートの番号をきかれて答えると、問い合わせ番号とトラベラーズチェックの受け取りのオフィスの指示を受けた。発券は明日になるとのことだった。 チェックの件が一段落し、お世話になったYさんとSさんとはいったん別 れた。(今夜は同じYH) YHに再びチェックイン。同じベットを希望したが空いていなかった。夕食をとる。昨日の5人組と顔を合わせたのでまたいっしょする。私はトラブった話をした。YさんSさんも戻ってきて一緒に話をした。会話がはずんで、きずいたらもう22時だった。シャワーを浴びて、シーツもしかずに就寝した。

 翌日。指定されたサンマルコ寺院近くのトーマスクックオフィスでトラベラーズチェックの再発券を済ませた。さて、これからどうするか。パスがなくなったことで足も問題だった。そのつど払っていったらかなり予定外の失費になってしう。昨日Yさんに“ユーロライン”という国際バスの情報をもらった。列車よりバスの方がかなり割安に移動できるらしい。そこでヴェネチアのバスターミナルを訪れた。小さな建物が受け付けカウンターになっていたが、総合窓口だったのでユーロラインの情報は詳しく分からなかった。 これからどういう経路を行くかだが、問題は航空券だ。もし、再発券できるなら最終的に2月29日までにロンドンにたどり着ければいい。ロンドンアウトのチケットだからだ。しかし、再発券が不可能だとしたら、どこか安いチケットショップを見つけて新たに購入しなければならない。そうした場合、いつまで旅を続けるかも考え直さなければならない。とにかく明日の早朝代理店に電話で確認をとってからでないと決まらない。どちらにしろもうヴェネチアに用はないのでとりあえずミラノにでることにした。ミラノならどこへでるにも便利だからだ。ユーロラインのオフィスもあるらしいのでそこも尋ねることができる。ミラノまでは仕方なく乗車券を購入して列車で行くことにした。ヴェネチアを離れるのに後ろ髪を引かれる思いだった。

2月8日(月)晴れ ●ミラノ"ユーロライン"

 ヴェネチアから IC で約3時間、ミラノ中央駅に到着したのは14時頃だった。数日前に来たときは夜遅くですぐに夜行に飛び乗ってしまったのでまともに駅も街も見ていなかった。改めてくると、大きな駅である。今夜はミラノ滞在だ。YHもいくつかあるようだが、しのぎの宿なので一番安いとこに決めた。最寄り駅からちょっと距離があり、壊れたキャリーバックを運ぶのがつらかった。チェックインをしてから荷物を置いて、街にでた。 まず、ユーロラインのオフィスを探した。住所からなんとかみつけることができた。さて、話を聞くとユーロライン(国際バス)にもユーレイルパスのようなものがあることを知った。一ヶ月、国際バス乗り放題のパスが455000Lit。日本円にして約¥29575だ。ユーレイルパスよりはかなり安いし、ロンドンまでも行ける。3万円は少し悩んだが、そのつど列車のチケットを買うことを考えればこっちのほうが安上がりだ。私は購入することを決めた。これがあれば旅を続けることができる。 その時は現金を持っていなかったので明日、また来ることを告げてオフィスをでた。 観光する気分でもなかったが、少し市内を散策してマーケットで食料などを買ってからYHに戻った。 その夜は早く寝た。

 翌朝早朝5時ごろ(日本時間13時頃)、日本の旅行代理店に問い合わせの電話を入れた。担当のKさん ‘再発行できるとは断言できません。現地の大韓航空オフィスを訪ねてください。できるかもわかりません。’と、言う返答だった。大韓航空オフィスに行かなければならない。大韓のオフィスはがあるのは大韓の就航都市であるパリ、ロンドン、フランクフルト、チューリヒ、ローマだけである。さて、どこに行くかが問題だ。一番近いのはチューリヒだが、またスイスに戻るのはなんだか気が進まない。ロンドン、ローマは問題外でフランクフルトはまた行くはつまらないから行きたくない。つまり一番都合がいいのはパリ、だ。 次の目的地が決まった。即座に旅程を頭の中で組み直した。やはりユーロラインパスが都合がいい。早く安心したいので寄り道はしないでまっすぐパリに向おう。パリへ着いてチケットの再発行の手続きをする。それからスペインへ入り、旅程の軌道修正をする。スペインの後はまたパリにもどるか、アムステルダムかブリュッセルからバスでロンドンに渡り、イギリスで1週間過ごす。うまく旅を続けられそうだ。

 午前中に再びユーロラインオフィスを訪ね、ユーロラインパスを購入し、今夜のパリ行きの夜行バスを予約した。 夜までの時間を持て余した。することもないので適当に街を散策した。とある無料の美術館に入った。ミケランジェロの“ロンダニーニのピエタ”がある美術館だった。私はミケランジェロフリーク。彫刻の前に置いてあるベンチに座ってしばし眺める。日本人観光客何人かもまわりにいた。 美術館を出たところに公園があった。公園のベンチに座ってぼーとする。うーん、ひまだ。 夕方5時過ぎ、駅に戻って近くのマーケットで夜食を買った。ロッカーに預けてあった荷物をとりだして、ユーロオフィスに向った。 夜行バスの集合場所はオフィスの前で、出発前にオフィスでチェックインをする必要がある。オフィスはお客で一杯だった。早めに来すぎて時間があったため、向かい側にあったジェラテリアに入った。ジェラードを買って店内で食べる。店員さんがとてもユニークな人で、私に小さいハート型のチョコレートをくれた。なんだか心が温まった。 19時半、バスの出発時間だ。オフィス前には何台かのバスが止まっていて、これから乗る乗客でにぎわっていた。日本語の片言をはなす黒人のお兄さんに話しかけられた。あやしいので軽くあしらった。男女二人組の若い日本人いた。唯一の日本人だったので話しかけた。二人はフランスに留学していて、そろそろ帰国なので最後にイタリアに旅行に来ていたのだそうだ。私と同じバスだった。 バスはパリに向けて出発した。

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